12月2日の礼拝より

神にとって不可能なことは何もありません。ルカの福音書1章37節


11月18日の礼拝より


心が渇いているなら…

「誰でも渇いているならわたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」ヨハネの福音書7章37,38節


11月4日の礼拝より

試練にあっている人へ

「試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」

第一コリント10章13節

試練の中にいるときは、まるで暗いトンネルの中を通っているようです。

出口の光がなかなか見えないので、暗いトンネルはより長く感じられ、この先出口がないのでは、と思えることもあるでしょう。

 

聖書には次のことばがあります。

あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」第一コリント10章13節

 

神様が知らない試練はありません。

どのような試練も、そして試練の中にいる私たちも、すべてご存知のお方です。

 

神は真実な方です。

意味のない無駄な試練や、いたずらに苦しめるようなことはなさらないお方だと信じています。

私たちが耐えられない試練にあわせることはなさらず、試練とともに、必ず脱出の道も備えていてくださいます。

 

長いトンネルにも必ず出口があるように。

 

試練にあっておられる方が、神の真実さに強められて、長いトンネルを抜けることができますように。


10月28日礼拝より

あなたがたも賞を得られるように走りなさい。

第一コリント924b

人生を生きる私たちは、長距離を走るマラソン選手と似ています。

目標があいまいなままでは、忍耐が試されるレースを続けることはできません。

人生も同じように、目標があいまいで、どこに向かおうとしているのか分からない生き方は辛いものです。

 

信仰をもって生きることは、賞に向かって走ることと似ています。

 

選手は、レースのために忍耐し、節制し、辛い時も経験しますが、ゴールテープを切り賞を手にした時には、すべてが報われ喜びに溢れます。次の聖書のことばがあります。

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足らないと私は考えます。」ローマ人への手紙818

 

 

私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」ヘブル人への手紙121

 

私たちは必要のないものまで大事に抱えて走っていることがあります。重荷の中には何が入っていますか。不安、苛立ち、妬み、頑なな心…。まとわりついてくる罪もあります。色んな誘惑や悪い考え…。

私たちは、なかなかこれらを捨てられないのです。捨てたいと思ってもなかなかできない。いつも考えて、それに苦しみ、とらわれてしまうのです。

 

続く2節には

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。

とあります。 

目を向け続けている重荷、まとわりついてくる罪から目をあげて、人生を一緒に走って下さっているイエス様に目を留めてみましょう。

重荷を置くことができるように、まとわりつく罪を捨てることができますように。    

人生を生きる私たちは、長距離を走るマラソン選手と似ています。

目標があいまいなままでは、忍耐が試されるレースを続けることはできません。

人生も同じように、目標があいまいで、どこに向かおうとしているのか分からない生き方は辛いものです。

 

信仰をもって生きることは、賞に向かって走ることと似ています。

 

選手は、レースのために忍耐し、節制し、辛い時も経験しますが、ゴールテープを切り賞を手にした時には、すべてが報われ喜びに溢れます。次の聖書のことばがあります。

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足らないと私は考えます。」ローマ人への手紙818

 

 

私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」ヘブル人への手紙121

 

私たちは必要のないものまで大事に抱えて走っていることがあります。重荷の中には何が入っていますか。不安、苛立ち、妬み、頑なな心…。まとわりついてくる罪もあります。色んな誘惑や悪い考え…。

私たちは、なかなかこれらを捨てられないのです。捨てたいと思ってもなかなかできない。いつも考えて、それに苦しみ、とらわれてしまうのです。

 

続く2節には

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。

とあります。 

目を向け続けている重荷、まとわりついてくる罪から目をあげて、人生を一緒に走って下さっているイエス様に目を留めてみましょう。

重荷を置くことができるように、まとわりつく罪を捨てることができますように。