202045日礼拝メッセージ要約 受難週

聖書箇所:詩篇22124節  説教題:「貧しい人として苦しむ」 説教者:川口牧師

 

◇イエス様の十字架と深く関わりのある詩篇22

221節は、イエス様が十字架上で語られた7つのことばのうちの1つです。また18節は十字架の下で行われたことでした。

 

イエス様の十字架と深く関わりのあるみことばですが、この22篇は、将来こういうことが起こるという預言の御言葉ではなく、あくまでこの詩人の個人的な経験からでている詩です。前半は「嘆きの祈り」です。

1節には、神様に見捨てられたのではないか、そう感じるほどの深い苦しみです。

特に1節後半では、「私のうめきのことばにもかかわらず」と言いました。

ことばにならない苦しみ。ことばでなんと言ったら良いかもわからず、ただ、うめく。なんと苦しみの中にあるのでしょうか。

 

◇けれども、神は真実なお方 答えてくださるお方

けれども、詩人は神様への信頼は捨てません。

続く3節。あなたは正しいお方。「御座についておられる方」というのは、王がすべてを支配しているように、試練の中にある私を、あなたは知らないのではない、その御手の中にあることだ、という信頼です。

そういう確信は、これまでの過去・歴史を振り返ることからきています。

4,5節。

たしかに、聖書には、神様は苦しみを聞き、助けてくださった出来事がいくつも記されています。

あるときは、出エジプトのように、同じ苦しみにあっている大勢の人の叫びに答えてくださったことがありました。

今まさにコロナの問題で大勢の人が神様に祈っていることでしょう。その祈りも確かに聞いてくださっているということです。

 

またあるときは、たった一人のことばにもならない、心の苦しみを聞いてくださったこともありました。ハンナという女性です。

ハンナは夫にも祭司にも本当の心の苦しみを理解してもらえませんでした。ただ一人で、ことばにもちゃんとできないけれども、そのうめくような苦しみを神様は聞いておられた。

そして答えてくださいました。

 

歴史に生きておられる同じ主が、私のこのうめきも必ず聞いてくださる、という信仰を捨てなかったのです。

ポイントの1つ目は、神様は今も生きておられる真実なお方だ、ということです。

主は答えてくださいます。

 

 

◇あなたこそ私の力

では、この詩人はどのような苦しみにあっていたのでしょうか。

11節。苦しい中で、助ける者がいないという孤独の苦しみ。

これが誰もが経験することです。

誰も理解してくれない、自分の味方になってくれないような状況に置かれてしまうこともあります。

たとえ話を聞いてくれる友人に恵まれ、親身になってくれる家族に囲まれていたとしても、本当の自分の心の苦しみ、悩みについて、助けてくれるわけではない、と分かるときに、孤独を感じます。

 

この詩人の苦しみはそれだけではありません。

1213節は雄牛や獅子といった獰猛な動物が敵として表現されています。

自分を悩ます、苦しめる敵がいた。私達を苦しめるものは多くあります。病気もその大きな一つでしょう。

 

このような中で、詩人はうちひしがれてしまうのです。

15節。「私の力は土器のかけらのように乾ききり」自分のうちから力が出てこない。無気力になってしまう。

そうして、「死のちりの上にあなたは私を置く」といいます。神様が私を置かれた、と思う。

けれども、これは神様をうらめしく思っているのでしょうか、怒りをぶつけているのでしょうか?

苦しみの中で、神様の存在を認めています。10節では「あなたは私の神です」と告白しています。

 

私達は、苦しみの中で、怒ったり、なんでこうなんだ、と理不尽におもったりする。

すべてをあきらめることもある。投げやりで自暴自棄になることすらあるかもしれません。

 

この詩人は、うめくほどの苦しみの中でも、神様に向かい続けました。「あなたは私の神です。」

19節。「私の力よ」との叫びます。

 

24節。貧しい人の苦しみとあります。

ポイントの2つ目は、貧しい者として苦しむ、ということです。

貧しい姿は、へりくだって神様に真摯にもとめていく姿です。

 

イエス様は貧しい者となって受難の道を歩まれました。

十字架の前にゲッセマネの祈りは、汗が血のようにしたたり落ちるほど祈られたのは、「あなたは私の神です」と祈り、私たちの救いのために、十字架の道を歩まれました。

 

1節「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。」という叫びは、

イエス様が私たちの代わりに叫んでくださったものです。

イエス様の十字架によって、もう私たちが、決して神様に見捨てられることはありません。

 

◇とりなす者に 同じように苦しみの中にある者、試練にある他者を覚えて

さて、この詩篇は個人の苦しみの嘆きと救いが歌われていますが、後半は、他者へのとりなしに発展します。

 

26節。同じ苦しみの中にある人、試練の中にある人のために祈る。

 

ポイント3つ目は、とりなす者に、という点です。

この詩篇は、「私」から兄弟、地の果てのすべての者、子孫にまで広がります。

私の苦しみ、私を救ってください、という叫びから、あなたがこの私に答えてくださったように、同じ苦しみの中にある人を救ってください、との祈りに発展します。そうして、彼らもまた、主の恵みと真実さを知るように、という賛美です。

 

私たちも他者のためにとりなしの祈りを大切にするものでありたいと思います。

とくに今、試練の中にある多くの人達のために祈る者でありたいと思います。